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歴史があるから今がある 芸能界「薬物汚染」の源流 [社会]


「麻薬大国」ニッポンの裏面史には
世界有数の「麻薬大国」だった日本の知られざる一面がある。
歴史を振り返れば、太平洋戦争の敗戦直後から、芸能界に薬物汚染は広まっていた。

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日本の薬物汚染は、戦争の歴史と無縁ではない。それどころか、アヘン、
モルヒネ、ヘロインなどの薬物は、日本の植民地統治とも深く関係していた。

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1940年代に覚醒剤を製造した会社は23社にのぼったと言われ「薬物汚染」の源流
ともなっているが、美味しい汁を吸える薬物製造を製薬会社は簡単には手放さない
だろう。見せしめの逮捕は氷山の一角である。


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薬物汚染 wiki

流行期
日本における薬物汚染には3回の流行期があると言われる。1回目は戦後の混乱期、
2回目はベトナム戦争期、そして3回目が00年代以降の今日である。

戦後
日本が第2次世界大戦に敗れると、戦後の混乱期にヒロポンなどの薬物が国内に蔓延し
大きな社会問題となった。

今日
00年代以降の今日、日本国内で薬物使用が大きな社会問題となっている。
特に若者達の間で薬物の使用が流行し、大学・高校の構内で覚せい剤などが密売され
るに至っている。


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知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史
芸能界「薬物汚染」の源流はこんなところにあった!
gendai.ismedia

芸能界の薬物汚染と太平洋戦争

近年、有名人の薬物事件があとを絶たないが、これは何もいまにはじまったことでは
ない。歴史を振り返れば、太平洋戦争の敗戦直後から、芸能界に薬物汚染は広まってい
た。当時よく使われたのは覚醒剤、いわゆる「ヒロポン」である。

漫才師で、のちに参議院議員に転身した下村泰は、1984年6月の国会質疑において、
ヒロポン中毒に陥った歌手たちの奇行を、次のように赤裸々に証言している。

いわく、楠木繁夫は、ギャラの契約をせず、「ヒロポンを一升瓶で何本くれたら幾日
間行く」といって仕事をしていた。


「昭和20年代(引用者註:1945〜1954年)にはヒロポン中毒というのがありまして、
これは旧軍が持っていたものを市中にばらまいたと言っても過言ではないと思うんです」

つまり、日本軍の保管していた覚醒剤が、敗戦後市中に出回り、「ヒロポン中毒」を引
き起こしたというのである。

このように日本の薬物汚染は、戦争の歴史と無縁ではない。それどころか、アヘン、
モルヒネ、ヘロインなどの薬物は、日本の植民地統治とも深く関係していた。



台湾領有とアヘン専売制のはじまり


アヘンの専売は、1905年に租借権を獲得した遼東半島先端の関東州でも行われたが、
やはりここでも多くの富を日本にもたらした。

アヘン専売制に味をしめた日本は、その後アヘンの国産化にも着手。原料であるケシの
生産地には、消費地の台湾ではなく、アヘンが厳禁されていた内地(主に和歌山県、
大阪府)と朝鮮が選ばれた。生産地と消費地を分けることで、アヘンの管理・統制を
効率的に行い、利益の最大化を図ったのである。

こうして日本は、次第にアヘンのもたらす利益に魅入られ、蝕まれていった。


「麻薬大国」への道とモルヒネ密売


日本の麻薬の生産は拡大し続け、1935年の国際連盟の統計によれば、日本のモルヒネ生
産額は世界第4位に達した。モルヒネより合成され、より依存性が高いヘロインの生産額
にいたっては世界第1位。

コカの葉より生産されるコカインの生産額も、やはり世界第1位となった(倉橋、前掲書
)。日本は、ついに世界有数の「麻薬大国」になったのである。

日本は、麻薬取り締まりに関する国際条約に調印・批准していたが、邦人の密売取り締
まりには消極的だった。麻薬の密売は、国内で食い詰めた者の貴重な資金源でもあった
からだ。

こうした日本の態度は国際的にも批判されたが、取り締まりは遅々として進まなかった。


歴史を振り返れば、太平洋戦争の敗戦直後から
芸能界に薬物汚染は広まっていた


これほどまでアヘンを生産・販売・使用した戦争はほかに例を見ない。そのため、日中
戦争の実態はアヘン戦争だったという指摘もある(江口圭一『日中アヘン戦争』)。
その指摘に納得するほどに、日本の麻薬政策は大規模かつ巧妙だった。

なお、1941年12月に太平洋戦争がはじまると、日本は東南アジアでもアヘンの専売に
着手した。シンガポールでは、英国のアヘンを押収し、精製工場を復旧して、マレー、
スマトラ、ボルネオなどに製品を供給。

こうしたアヘンの収入は、1942年3月から9月分までで570万7500ドルに達し(当時1ドル
=1円)、第25軍(シンガポール攻略担当)軍政部の経常部歳入の約50%、臨時部歳入を
加えた全歳入の約25%を占めた(江口、前掲書)。

戦時中の日本は、「日満支(中)の提携」「東亜新秩序」「アジアの解放」
「大東亜共栄圏」などのスローガンを高らかに掲げていた。だが、その実態はかくのご
としであった。日本の理想は、薬物で醜く黒ずんでいたのである。


戦争のために配布された覚醒剤

1940年代に入ると、日本本土でも薬物の害が蔓延しはじめた。日本で主に使われたの
は覚醒剤である。


欧米の動きを受けて、日本でも1940年代にメタンフェタミンやアンフェタミンが次々に
商品化された。メタンフェタミンでは、大日本製薬の「ヒロポン」、参天堂製薬の「ホ
スピタン」、小野薬品工業の「ネオパンプロン」、富山化学工業の「ネオアゴチン」。

アンフェタミンでは、武田薬品工業の「ゼドリン」、富山化学工業の「アゴチン」など
があげられる。1940年代に覚醒剤を製造した会社は23社にのぼったという


このような覚醒剤は、1945年8月の敗戦により不要となり、市中に流出してしまった。
その結果、冒頭で引いたようにひとびとが「ヒロポン中毒」になったのである。
昼夜を問わず多忙な芸能人の間には、特に蔓延したといわれる。

覚醒剤の有害性は戦後になって広く認識されるに至り、1951年ようやく法律で規制され
た。


国家が麻薬に取り付かれる恐ろしさ

このように、日本における麻薬の生産・販売・消費は、植民地統治や総力戦と密接に
結びついていた。現在でも、日本では他の国より覚醒剤の使用が多いというが、そんな
ところにもかつての麻薬政策の影響が残っている。

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ホーキング博士に異を唱える11歳の天才少年 [社会]


「無神論者は『神は存在しない』って言うけど、そう考えるにはよっぽどの信念が必要
になるんだ。だって、『何かが宇宙を創り出した』って考える方が、『宇宙は自らを創
り出した』って考えるよりずっと理にかなってるからね」

ホーキング博士が言うように「何もないという状態から宇宙が出来る」はずはなく、
「外的要因」つまり「神」が宇宙を創り出したと結論付ける方が理にかなっている。

と語る若干11歳で超名門校カーネギーメロン大学に入学した天才少年。

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既成概念を打破するところから『何かが宇宙を創り出した』という新説が始まり
いつしか宇宙の始まりが解き明かされる日が近いかも知れない。

9歳の「神童」の話もあり天才少年の活躍が期待される。


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2019年10月29日
11歳の天才少年がホーキング博士に異を唱える 
「宇宙を創造したのは神」
大紀元

アインシュタインやホーキング博士といった稀代の物理学者が唱えた宇宙理論。

宇宙の始まりについて当たり前だとされてきたこれらの理論を否定する天才少年が
現れました。アメリカの超名門大学に通う11歳のウィリアム・マイリス君は「神が宇宙
を創造した」ことを証明できると話しています。

アメリカ・ペンシルバニア州出身のウィリアム君は天文学者になることを夢見る少年で
す。でも、普通の少年ではありません。

生後7か月で完璧な文章を話し、1歳過ぎで足し算を、2歳で掛け算を習得。9歳で高校を
卒業し、若干11歳で超名門校カーネギーメロン大学に入学した天才少年なのです。

しかもウィリアム君は単なる天才少年ではありません。ギリシャ正教会の司教である父
親の影響を受けた、信仰心の強いキリスト教徒でもあるのです。
そんな彼が目指しているのは、神の存在を科学の力で証明すること。

アインシュタインやホーキング博士の唱えた宇宙理論、特に「神は存在しない」とした
考え方は間違いであり、全く賛同できないと語っています。



ホーキング博士は「神の存在を信じない」と公言していた無神論者。「『神が宇宙を創
造した』という古い考えは科学の進歩により説明がつかなくなった」とも断言しました。

しかし、ウィリアム君は逆の考えを持っています。ホーキング博士が言うように「何も
ないという状態から宇宙が出来る」はずはなく、「外的要因」つまり「神」が宇宙を創
り出したと結論付ける方が理にかなっている、と考えているのです。

「無神論者は『神は存在しない』って言うけど、そう考えるにはよっぽどの信念が必要
になるんだ。だって、『何かが宇宙を創り出した』って考える方が、『宇宙は自らを創
り出した』って考えるよりずっと理にかなってるからね」



「宇宙は今138億歳。つまり138億年前、全宇宙は素粒子よりもずっと小さい特異点って
いう「無」の状態だったんだ。でも、宇宙の始まりである特異点と重力の両方が存在し
ていたのなら、宇宙は無限に存在してて宇宙の年齢自体なくなってしまう。

でも宇宙には年齢があるし、何かを生み出すには『何もない状態』からじゃ不可能だか
ら『何かが存在』してないといけないんだ。だから、『何か他の物』がこの特異点を生
み出したって考える方が理にかなう。

そして僕には、その『何か』は『神』だとしか考えられないんだ」

ウィリアム君はこれからも研究を続け、未知のことをたくさん追求していきたいと話し
ています。次世代の大科学者となるであろう天才少年の活躍が期待されます。

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当たり前に使っていた言葉が「実は方言だった」 [社会]


「それ、なおしといて」
「モータープール」
「画鋲」、「押しピン」など、

「全国共通語」だと思って普段使っている言葉が
「実は方言だった」ということも少なくない。


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2019/11/16
関西人がずっと「全国共通語」だと思っていた言葉3選
headlines.yahoo /LIMO life&money

ふだん過ごしている土地を離れて人と話すときや、出身地が違う人と話しているとき、
ふとした瞬間に、相手が「……ん?」という表情を見せることがあります。

「その言葉ってどういう意味?  方言?」と言われて初めて、自分がいつも使ってい
る言葉が実は方言だったと気づいた、という経験がある人も少なくないのではないでし
ょうか。

最近、Twitterで話題になったツイートがありました。

日々寄せられる不安や悩みについて「パピコを3人で分ける方法選手権」「桜を見る会が
中止になったので来年から何を見る会になるか選手権」のような「選手権」を開催し、
みんなに意見を求めることでその不安や悩みを解決する、という取り組みをしている坊
主(@bozu _108)さんの、関西の方言に関するツイートです。


「それ、なおしといて」が通じない!?

お題は「標準語だと思っていた方言」でしたが、数ある意見の中で最優秀に輝いた言葉
は、関西弁の「それなおしといて」。

「なおす」は標準語だと「修理する」という意味で捉えられる言葉ですが、関西では
「片づける」という意味で使われます。つまり「それなおしといて」は、標準語で言う
ところの「それ片づけといて」の意味ですね。

ちなみに関西では、「標準語」と呼ぶことに違和感を覚えて「共通語」や「東京弁」
と言う人もいます(厳密に言えば「共通語」と「東京弁」も違うものですが)。

ともあれ、坊主さんのこのツイートには、関西出身とおぼしき人たちから「『なおしと
いて』って方言なんや……」という驚きの声が多数寄せられました。

ここでは、ほかにも関西の人が「ずっと全国共通の言葉と思っていた」と驚かれる
代表的な言葉を紹介していきます。


「モータープール」って何?

関西では当たり前に使われている「モータープール」。しかし、この言葉は関東ではほ
とんど使われません。「流れるプールのこと?」と勘違いされることもあるそうです。

「モータープール」を広辞苑で調べると「自動車置場。駐車場」と書かれています。
実は関西でも「月極駐車場」「時間貸し駐車場」と狭義で認識している人も多いようで
す。

なぜ「モータープール」という言葉が広く認知されたのかについては諸説ありますが、
第2次世界大戦後の進駐軍(連合国軍)の集中配車場に由来するといわれています。
関西以外の地域ではこの言い方が定着せず、結果的に方言となったということのようで
す。

「モータープール、方言的な表現だと最近知った」
「『モータープール』が他県では通じなかった時の衝撃」

このようにSNSには日々、モータープールが方言であると知った関西人の驚きの声が上
がっています。あまり方言らしさがない外来語であるため、全国で使われているような
印象を持つ人も多いようです。

「とはいえ関西でも今は若い人は言わないと思う」「『パーキング』って言うほうが
普通」という意見もあります。



「押しピン」? それとも「画鋲」?

「押しピン」と聞いても意味はなんとなく通じます。しかし、関東の人からすると
耳馴染みがありません。「押しピン」を同じく広辞苑で調べると、「画鋲に同じ」と
出てきます。

ところが話は簡単ではありません。実際には「画鋲」の意味で「押しピン」を使う人と、
「押しピン」と「画鋲」を使い分けている人も関西には見られるのです。

使い分けている人によると、薄くて平らな金属の頭部がついているものは「画鋲」、
プラスチックでできたつまめるものは「押しピン」なんだそうです。

関東人から見ると、どちらも同じ「画鋲」で、呼び分けるなど考えたことすら
ありませんが、

〈使い分ける派〉
「関西では当たり前のように使い分けて言ってる」
「『押しピン』と『画鋲』は、方言とかではなく別物として使い分けたい名称」

〈使い分けない派〉
「押しピンと画鋲は呼び方が違うだけ」
「押しピンは、形関係なく画鋲全般のこと」

SNS上ではこのように、関西人の中でも意見が分かれています。
これも方言かも?


ほかには、「食材についての言葉は意外と方言だと気づかない」と指摘する人もいます。
大阪出身のAさんは「オカンから『かしわ買(こ)うてきて』ってよく頼まれたりしまし
た」と話しますが、「かしわ」とは鶏肉のこと。

もともとは日本在来種の茶色または黄色っぽいニワトリの肉のみを指していたといい、
関西以外に九州などでも使われるそうです。

ほかにも、「おじや(雑炊)」や「かやくごはん(五目飯)」、アメは「あめちゃん」、
豆は「おまめさん」、お粥を「おかいさん」というように「さんづけ」するなど、
「全国共通だと思ってた」という言葉はよくあるようです(「おじや」はもともとは
単に「雑炊」を指す女性言葉だという説もあります)。

Aさんの考察によると、「仕事の関係で東京に来ている関西人は、仕事の話やテレビの
話は普通にしますけど、生活の話はわりと仲がいい人しかしないから、意外と指摘され
なくて方言だと気づかないのではないか」とのこと。


何十年も生きてきた中で、当たり前に使っていた言葉が「実は方言だった」と知ったと
きの衝撃は、言葉に言い表せないほどです。もしかしたら、いま話しているその言葉も
、ほかの地域では意外に通じないかもしれません。

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8割が「生活保護」受給者 横浜の寿町 [社会]


企業年金の減少傾向に歯止めがかからず、このままでは中小企業の社員は、
老後資金に困る可能性が高く、平均的な給与所得がある場合も「下流老人」に
なる可能性があるとの指摘もある。

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寿町の簡易宿泊所に暮らすおよそ6500人のうち、20年前はほとんどが日雇い労働者だった
のが、今では8割以上が生活保護に頼っている

バブル崩壊で労働者の町から福祉の町へと言われる、横浜の寿町から見える日本の姿にも
高齢化の波が押し寄せている。

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「寿町の高齢化した元日雇い労働者たちはまずまずの老後を送ることができている。
町の中に次々と建設される介護施設で介護を受け、食事の世話をしてもらい、必要なら
車椅子でデイケアセンターに連れて行ってもらうことも可能なのだ」

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日本のいくつかの都市の「ドヤ街」と呼ばれる地区に焦点を当てているが、多くが
年金受給額が生活保護基準を下回る「下流老人」となる可能性があり、寿町は財政が圧迫
されている日本の姿を垣間見ることができる。

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老後破綻する人が続出の可能性
voice74 2018-08-11

退職金・企業年金の減少傾向に歯止めがかからない。
このままでは中小企業の社員は、老後資金に困る可能性が高い。

多くの中小企業では、退職金は1000万円程度で、それ以外の企業年金などは
一銭も出ないからだ。政府は「私的年金加入による自助努力」を促すが、
道のりは険しい。
人事ジャーナリストの溝上憲文氏は「賃上げが低迷しており、
老後破綻する人が続出するのではないか」と警鐘を鳴らす――。

■退職金・企業年金の減少傾向に歯止めがかからない

少子高齢化で公的年金の支給額が減りつづけている。
このため政府は公的年金を補完するものとして「企業年金」に期待を寄せている。
ところが、その企業年金も減少の一途をたどっている。


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「下流老人」にふるえる日本人

71歳の男性による新幹線車内での焼身自殺は低年金による生活苦が背景にあったと
される。この男性は年金受給額が生活保護基準を下回る「下流老人」の典型であり、

平均的な給与所得がある場合も下流老人になる可能性があるとの指摘もある。
低年金時代をどう生き抜くべきか、すぐそばにある貧困を考える。

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8割が「生活保護」受給者横浜の寿町から見える日本
ironna.jp

日本人もあまり知らない「ドヤ街」

日本のいくつかの都市には「ドヤ街」と呼ばれる地区がある。「ドヤ」とは「宿」を
逆さ読みにした言葉で、料金の安い簡易宿泊所を指す。「ドヤ」がたくさん集中している
場所が「ドヤ街」。

英語で言うなら「skid row」が最も近いだろうか。いずれにしても、主に男性が暮らす
スラム街のような場所だ。有名なのは、大阪の釜ヶ崎、東京の山谷、そして横浜の寿町で
ある。

ドヤ街はなにがしかの事情を抱えた人々の最後の避難場所だ。職を失った者、結婚に失敗
した者、家賃を払えず住む家を失った者、刑期を終えて刑務所を出たものの行き場がない
者。そんなわけありの人間でも、ドヤ街でなら受け入れてもらえる。

身分証明書を提示したり、手付金や保証金を用意したり、保証人を立てたりできなくても
、安い料金で宿泊することができるのだ。以前なら、食・住には困らない程度の賃金をも
らえる日雇い労働にありつくこともできた。

ドヤ街の存在を知る日本人は、実はそれほど多くない。知っている人には、社会の最底辺
で生きる人間のたまり場というイメージである。そうした人々の姿は、1960年代のフォー
クソング「山谷ブルース」(岡林信康)や、演歌「釜ヶ崎人情」(三音英次)などに描か
れている。


バブル崩壊で労働者の町から福祉の町へ

私の勤める大学のキャンパスは横浜市にあるが、その「地元」のドヤ街、寿町は、横浜市
中心部の一等地にある。周囲には横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムや
、人気のショッピングエリア・元町、さらには中華街などが隣接する。

町の中でハングルの看板を見かけることはほとんどないが、寿町にある簡易宿泊所の多く
が在日朝鮮人の経営であることから、コリアタウンの顔も持つ。


そんな寿町をはじめとするドヤ街の研究を始めて20年余り。ドヤ街は労働者の町から福祉
の町へと大きな変貌を遂げた。

1993年に寿町を初めて訪れた時、簡易宿泊所に寝泊まりする人の多くは日雇い労働者で、
みな毎朝4時か5時頃には起き出して仕事を探しに出かけていた。

寿町には、主に暴力団関係者が日雇いの仕事を仲介する「寄せ場」という路上労働市場に
加えて、厚生労働省と神奈川県がそれぞれ管轄する職業紹介所が2カ所あるのだ。

ところが90年代半ばになって、日雇い労働者の生活事情は一変する。90年代初めにバブル
経済が崩壊し、日雇い労働の需要が激減したためだ。日雇い労働の多くは建築関連であり
、日本の建設業界は、受託業者・下請け業者・孫請け業者というピラミッド構造になって
いる。

その底辺に位置するのが日雇い労働者で、彼らは現場が忙しい時だけ臨時労働者として雇
われる。そのため、バブル崩壊による不動産価格の急落の影響は深刻で、職業紹介所では
、シャッターが開く6時15分の何時間も前から列を作って、少しでも有利なポジションを
陣取ろうとする労働者たちの姿が見られた。


やがて90年代の終わり頃になると、多くが仕事探しを諦め、職業紹介所には閑古鳥が鳴き
始める。同時に簡易宿泊所の宿代を払えずにホームレスになる人が増え、路上で寝泊まり
する人の数は寿町近辺で数十人、周辺の関内駅や横浜スタジアムの軒下では数百人を数え
た。


「自立支援法」でホームレス減少

近年、横浜市のホームレスの数は以前に比べるとかなり減少している。これは全国的な傾
向で、公式発表によれば、2014年に日本で路上生活を送るホームレスの数は7508人と、
2003年の2万5296人から大幅に減少している。

その理由の1つに挙げられるのが、2002年に施行された「ホームレスの自立の支援等に関
する特別措置法」だ。同法は10年間の時限立法だったが、2012年に期限が5年間延長され
た。この法律に基づいて国と地方自治体は、ホームレス状態になった人々を路上生活から
脱却させ、社会復帰を手助けするべく、自立支援施設の建設を進めた。

寿町にある「はまかぜ」も、ホームレス支援のための施設だ。ホームレス支援目的で建設
された恒久的な建物という点では日本ではユニークなのだ。地上7階建てで、ベッド数は
合計250台(男性用が230台、別の階にある女性用が20台)。主に4人から8人で1部屋を使
う形式になっている。

利用期間は低層階で最長30日間、上層階では最長180日間と定められており、上層階を利
用できるのは、就職が決まって賃貸アパートなどで暮らすための資金を貯めている人に
限られる。

ただし低層階も、最低1カ月の期間を置いて申請すれば再入所することができるので、
利用者の中には、1カ月をはまかぜで暮らし、次の1カ月を路上で過ごすというサイクルを
繰り返している者もいる。


寿町の8割が「生活保護」受給者

「自立支援法」と並んでホームレス減少の大きな要因となったのが、生活保護の受給者の
増加だ。生活保護は日本の重要なセーフティーネットで、日本国憲法第25条に基づいて、
すべての国民の「健康で文化的な最低限度の生活」を保証するために設けられた制度であ
る。

かつてドヤ街で暮らす人々は、決まった住所を持っていないことを理由に生活保護の支給
を拒否されることが少なくなかった。これは生活保護法に規定されたルールではなく、
各自治体が独自に定めた方針なのだが、皮肉にも福祉の手助けが最も必要な人たちが受給
の申請を行うことさえできない状況になっていた。

そこで寿日雇労働組合が中心になっていた「衣食住を保証せよ!生存権を勝ちとる寿の会
」という組織が行政に強く働きかけ、90年代半ばには永久的な居住地が生活保護の受給要
件ではなくなる。

その結果、生活保護の受給者が急増した。寿町の簡易宿泊所に暮らすおよそ6500人のうち
、20年前はほとんどが日雇い労働者だったのが、今では8割以上が生活保護に頼っている
状態である。


深刻な財政赤字のジレンマ

日本の生活保護は、諸外国に比べるとかなり寛大である。支給額は月額およそ8万円で、
家賃補助がおよそ5万円まであり、しかも医療費は無料だ。無駄遣いさえしなければ家賃
と食費は十分に賄える。

かつて日雇い労働者は使い捨ての労働力として都合よく使われ、年を取ったり体が弱った
りしたらお払い箱にされて、野垂れ死にを強いられることもあったが、それに比べたらず
いぶんと「人間的な」社会環境になったといえる。

ただし、この状態が長くは続くとは思えない。寿町で生活保護を受給するおよそ5000人は
、巨大な氷山の一角にすぎないのだ。全国の生活保護受給者の数は、過去最低の88万2千人
だった1995年以降、年々増え続け、2014年6月には215万8千人に達した。

その一方で、国が抱える借金は1000兆円を超え、寿町のある横浜市も財政赤字に悩まされ
ている。いずれは生活保護の支給額を減らさざるを得なくなるだろう。

実際、政府は2013年、生活保護基準を最大で10%引き下げる決定をした。

幸い今のところ、寿町の高齢化した元日雇い労働者たちはまずまずの老後を送ることがで
きている。町の中に次々と建設される介護施設で介護を受け、食事の世話をしてもらい、
必要なら車椅子でデイケアセンターに連れて行ってもらうことも可能なのだ。

大都市の最底辺で暮らす人々に対して、これほどきちんと福祉の手が差し伸べられている
という事実に、私は感銘を受けずにはいられない。

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トム・ギル(Tom GILL) 明治学院大学国際学部教授。1960年英国生まれ。ロンドン大学
(LSE)博士(社会人類学)。20年にわたり日雇い労働者、寄せ場、ホームレスを調査。

主に横浜・寿町で行った調査をまとめた博士論文をMen of Uncertainty: The Social
Organization of Day Laborers in Contemporary Japan (State University of New
York Press, 2001)として出版。

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ふるさと納税の返礼品競争 [社会]


地方行政を応援する制度の「ふるさと納税」

それが今や、寄付先の自治体からさまざまな返礼品を受け取れる
状態の「ふるさと納税」。

この「お得感」から利用者が急増
しかし、総務省は「お礼の品は寄付額の3割以内」と通知している。


高額な返礼品による自治体間の寄付獲得競争に歯止めをかけるも
これが自治体の財政を圧迫している怪。

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取りやめで寄付額9割減からも分かるように「お得感」がなければ
純粋な「ふるさと納税」が減るのは単純な人間の心理でしかない。

純粋な地方行政を応援する「ふるさと納税」が「節税ノウハウ」になってし
まった今日、自治体の財政圧迫を解消するにも原点に返るしかないようだ。


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2018/7/30
ふるさと納税 「返礼品合戦」から脱却を
西日本新聞

ふるさと納税は近年まれにみるヒット政策かもしれない。西日本豪雨災害でも被災地を
支援しようと、ふるさと納税を活用した寄付が増えているようだ。

甚大な被害を受けた被災地を少しでも応援したいという善意の輪は貴い。東日本大震災や
熊本地震の際も、この制度を使って寄付をした人は多い。

ただし、制度そのものは2008年度の導入から11年目に入り、曲がり角を迎えている
。地方自治体がお礼の品の豪華さを競い合う「返礼品合戦」などの弊害は放置できない。
仕組みを見直す時期ではないか。


そもそも返礼品は必要なのか。返礼品がなくても被災地への寄付が自然に集まるのが本来
の姿だろう。加えて、地方税の住民税が控除の主な対象というのは妥当なのか。

現状では、限られた地方税収を自治体同士が奪い合う形になっている。


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ふるさと納税 返礼品競争はいま
kyoeikasai

ふるさとへの恩返しや、地方行政を応援する制度として導入されたはずの
「ふるさと納税」。

実際には、寄付に対するお礼がカタログギフトのようになり、自治体間の返礼品競争が
過熱しています。総務省は「お礼の品は寄付額の3割以内」と通知しました。

豪華な返礼品は、これからどうなるのでしょう。

ふるさと納税は、居住地以外の自治体に寄付すると、寄付額の大部分が所得税と住民税
から控除される制度。

実質的な自己負担2000円で、所得額に応じた一定の限度まで、寄付先の自治体から
さまざまな返礼品を受け取れる状態になっています。

この「お得感」から利用者が急増し、寄付総額は制度が導入された2008年度に81億円
だったのが、16年度は約3000億円に上ったとみられます。

総務省は、高額な返礼品による自治体間の寄付獲得競争に歯止めをかけようと、
今年4月、返礼品の調達価格を寄付額の3割以内に抑えるよう全国の自治体に通知しました。

5月には、商品券▽電子機器や宝石類▽価格が高いもの――といった返礼品を見直してい
ない約100自治体に対し、個別に見直し時期や方向性を確認しています。

総務省は「そもそも返礼品を準備することを求める制度ではありません。寄付を当て
込んで予算を組んだ自治体もあるかもしれないけれど、制度の趣旨に反する返礼品は
是正してもらう必要があります」と説明します。

制度の趣旨に沿って全く返礼品を送っていない自治体は、16年度は全国の9.4%しか
ありませんでした。

●通知後に駆け込み

●見直しはまちまち

●町への興味に期待


取りやめで寄付額9割減

返礼品の原資は、自治体や国庫に納められた税金です。ふるさと納税の利用が進めば
進むほど、居住地の自治体は税収が減るのです。

しかも減収になった分のうち従来は平均4割程度、今後は最大3割が、返礼品に形を変え、
寄付者に払い戻されます。

ふるさと納税は、一部の納税者を対象とする事実上の「節税ノウハウ」となっている
のが現実です。

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EVは環境問題の救世主ではない [社会]


EVは環境問題の救世主と思ってしまうところだが
抱えるさまざまな問題点を知ればそうも言ってられない。

「クリーン」という名の裏に隠れた、さまざまな問題が指摘されている。

--
バッテリーに必要な鉱物採掘のため、児童労働、健康被害、貧困や汚染な
ど、人や環境が犠牲になってる現実は無視できないものがある。

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抱えるさまざまな問題点から、EVが地球を救うことはなく、補助金なしでは
EVは生き残れないとしている。

・児童労働も 途上国で払われる犠牲
・バッテリー製造に大量のエネルギー
・需要増加で鉱物不足へ EV生産に足かせ?
・「売れている」は嘘? 消費者は環境より価格

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2019/11/08
EVは環境問題の救世主ではない 抱えるさまざまな問題点
newsphere

国際エネルギー機関によれば、世界の道路を走る電気自動車(EV)の数は300万台を超え、
2030年までには1億2500万台に達すると予測されている。

多くの国が、将来的にはガソリン、ディーゼル車をなくし、市場を電気自動車に移行さ
せようとしているが、「クリーン」という名の裏に隠れた、さまざまな問題が指摘され
ている。

児童労働も 途上国で払われる犠牲

EVに搭載されるバッテリーには、さまざまな鉱物が使われている。コバルトもその一つだ
が、アムネスティ・インターナショナルによれば、コンゴ民主共和国(DRC)でのコバル
ト採掘が人権問題を引き起こしているという。

世界のコバルトの半分以上はDRC南部で採掘されており、その20%は小規模鉱山からのも
のだ。ここでは児童労働が行われており、7歳の子供も確認されている。

年端もいかない子供の稼ぎは1日1ドル(約108円)しかないうえに、鉱夫はコバルトの埃
にさらされることから、慢性的な肺疾患に苦しんでいると同団体は報告している

世界で生産されるコバルトの60%はバッテリー製造に使われている。

DRCのように、バッテリーに必要な鉱物採掘のため、児童労働、健康被害、貧困や汚染な
ど、人や環境が犠牲になっており、鉱物の出所を明らかにするトレーサビリティの強化を
アムネスティは求めている


バッテリー製造に大量のエネルギー

化石燃料を使わないことからクリーンとされるEVだが、1バレルの石油と同等のエネルギー
を蓄えられるバッテリー1つを作るには、石油約100バレル分のエネルギーが必要だと、
マンハッタン政策研究所のシニアフェロー、マーク・P・ミルズ氏は述べる(シティ・ジャ
ーナル紙)。

EVに使われるリチウムイオンバッテリーは石炭火力発電の多い中国、韓国、日本で製造さ
れており、アムネスティは、メーカーは製品のライフサイクルを通じた二酸化炭素排出量
を公開すべきだとしている(WEF)。


ミルズ氏も、アジアで製造されたバッテリーを輸入することで、消費者は二酸化炭素の
排出を輸出したことになってしまうと述べる。EVが普及しても、現状発電の7割は石炭と
天然ガスによるものなので、二酸化炭素排出を相殺するには何年もかかると指摘している。

さらに、使用済みのバッテリーの処理の問題も指摘されている。アムネスティは、2030年
までに使用済みリチウムイオンバッテリーは1100万トンを超えるとし、再利用、リサイク
ルを実現する循環型システムがほとんど構築されていないとしている(WEF)。


需要増加で鉱物不足へ EV生産に足かせ?

石油関連の経済誌ペトロリアム・エコノミストは、EV用のバッテリー生産の増加で鉱物
不足となり、速やかなEVへの移行が困難になる可能性があると指摘する調査を紹介して
いる。

イギリス政府も出資したSecurity of Supply of Mineral Resourcesという調査プログラ
ムでは、イギリスが2050年までにすべての車をEVにし、2035年までにすべて車のセールス
がEVだけになると仮定した場合、どれだけの鉱物が必要になるのかを計算した。

この条件を満たすには、コバルトは世界の年間生産量の2倍近く、ネオジミウムは100%、
リチウムは4分の3、そして銅は少なくとも半分が必要になるという結果となった(データ
は2018年のものに基づき、新世代電池セルNMC811使用の場合とした)。

イギリスだけでこの結果であれば、今後世界にとっても鉱物の確保は深刻な問題となりそ
うだ。


「売れている」は嘘? 消費者は環境より価格

ミルズ氏は、実はバッテリーは数千のパーツや溶接が必要な複雑な機械だと述べる。
さらに製造は驚くほど労働集約型で内燃機関より人手がかかるため、中国などのアジアに
バッテリー工場などがあるとしている。

また、EVのセールスをけん引する中国では補助金を減らした途端売れなくなったとし、
結局EVは作りやすく、必要な労働力が少なく、最終的にはコスト低下という、いいこと
づくめの解説は大嘘だと断じる。

EVは売れているというが、気候変動への認識が高まるいまでも、実際にアメリカでよく
売れているのはSUVだとし、消費者が払える価格を考えれば、EV-SUVなど売れる訳はない
と同氏は述べる。

また、消費者が重視するのはスタイルや機能で、車の燃料ではないという考えだ。

結局のところ現状EVを選ぶのは単なる高い車を選ぶというオプションになっていると述べ
ており、EVが地球を救うことはなく、補助金なしでは生き残れないとしている。

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戦前、戦後の暮らし [社会]


昔の暮らしの方がよかった、という話をよく聞くが、この話を読むと、
一つのパターンなんだろうけど、アットホーム的な感じを受ける。

昭和10年当時の日本はこうだったと、この読みもので一端を知るのも
いいかも知れない。

--
それが今日の状態になったのは戦後のこと。

家族として慈しみ、大切に育てられていた工員(社員)たちの中に、労使の対立などと
いう、いびつな共産主義思想が入り込み、労使にあった紐帯を切り裂いてしまったから
です。

--
戦後の戦勝国の収奪思想が日本を根こそぎ変えてしまったと言っても過言でない。
外圧に屈した政府はこの事を国民に知られたくない。戦後に次々と出された政府の政策は
全て戦勝国のいいなりになっている。

官邸からジャパンハンドラーを追い出したとは言っても、なだまだ収奪思想は
色濃く残っている。じーえっちきゅうの作った収奪システムが機能していることを
憂うべし。

--
ヘレン・ミアーズさんが紹介している昭和10年当時の日本から、
今日の変わりようを考えてみたい。

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2019/11/07
昔の女工さん
vpoint

徴用工のことが色々と取沙汰されていますが、もう5年も前になりますが、「偕行」
の2013年12月号に元防衛研究所図書館長の大場昭さんが「ヘレン・ミアーズと日本」
と題する論文を寄稿されました。

これが実におもしろい。簡単に要約すると、次のようになります。

ヘレン・ミアーズ(Helen Mears、1900-1989)女史というのは、戦前に来日した知日
米国人です。この人が昭和10年当時の日本を本で紹介しているのです。

ヘレン女史は、この年、大日本紡績の東京工場を視察するのですが、その工場には
1600人の女子工員がいました。工場内には、工場と寮の他に講堂と医務室があり、
医師、歯科医が常駐し、なんとプールまであったそうです。

この工場でヘレン女史は、ツキさんという女子工員から、工場での様子をヒアリングす
るのです。



ツキさんは当時16歳で、寮の15畳の部屋に10人で住んでいました。
勤務は月曜から土曜日まで。
早番と遅番があり、それは1週間交替で行われていました。
早番のときは、起床が午前4時です。

掃除、洗顔をして作業衣に着替え、講堂に行って体操教師の下で体操をしから、食堂で
朝ご飯です。ご飯に味噌汁、魚、大根の漬け物の朝食を摂り、午前5時から作業を開始
します。午前10時30分に昼食。
11時に作業が再開され、14時に終了しました。

14時から15時30分までは自由時間です。
ツキさんたちは、そこで洗顔し、洗髪し、夏ならプールに入って楽しみ、冬なら火鉢で
温まりながら、みんなと雑談して過ごします。

15時30分になると、なんと授業が始まりました。
科目は、国語、算数、作文、地理、歴史、修身で、他に茶の湯や生け花なども教わり
ました。

16時30分に夕食。
ご飯に野菜の天ぷらと大根おろしで、これに醤油をかけて食べました。
食事の内容は、官署の検査を受けていて、カロリーは十分なものとなっています。

そして18時から、ふたたび授業が再開されます。
そこでは、裁縫、歴史、修身などを学びました。

ツキさんがいちばん好きな科目は裁縫で、自分の着物や、小さい妹の着物などを作った
そうです。当時の日本女性にとって裁縫は必須で、それができなければお嫁に行けない
といわれていました。
工場で裁縫を学ばなければ、嫁入り前に裁縫学校に通わなければならいからだそうです。

そして午後9時に床に就く。


遅番のときは、起床が8時です。
授業などは午前中に行われ、作業は14時から開始となりました。
就寝は午前1時になります。

年に1〜2回、授業が休みの日があります。
そういう日には、講堂で映画が上映されたり、有名人がやってきて「日本精神」につい
て講演することもありました。
また、ときには同じ勤務時間の一同で、半日のピクニックに出かけたりすることもあっ
たそうです。

工場内には売店があって、必要なものはすべて工場内で間に合います。
ですから工場の外に出る必要はあまりありません。

ツキさんの日給は、はじめ35銭だったけれど、そのときは45銭に昇級していました。
お正月には5円のボーナスが出ました。ツキさんには、月1円のお小遣いが渡され、残り
は会社から家族に直接送金されていました。

これはいまの相場にしたら、手取りの月給が月12万円くらいで、他に1万5000円く
らいのお小遣いがもらえ、実家には毎月別途10万5,000円が送金されていて、年末には
ボーナスとして40万円もらう、といったイメージです。

しかもプール付きで、寮費も、食費も学費も、全額会社負担ですから、いまの感覚にし
ても、16歳にしては、ものすごい高給取りということができます。

ツキさんは、農村出身の女性ですから、もし親もとにいれば、朝早くから夜遅くまで、
年中無休で働きどおしです。

しかも毎日つらい重労働で、食事で野菜の天ぷらなどを食べれることなど、まずあり得
なかったし、自分が自由に使えるお金など1銭もありません。

当時はそれが普通のことでした。
工場での生活は、ツキさんにとって、まさに夢のような生活であったわけです。


彼女はこの工場で4年間働きました。

会社から送金されたお金は、ご両親が結婚資金としてちゃんと貯めておいてくれ、
彼女はお見合いで「身元のしっかりした男性」と結婚し、工場勤めのときに学んだ裁縫
や料理や教育のおかげで良妻賢母となって幸せな家庭を築き、夫を愛し、子を産み育て、
親の面倒をみながら次の世代への架け橋を担って行くという人生をすごしました。


朝日新聞社が昭和43(1968)年に出した山本茂実の「あゝ野麦峠」は、「女工哀史」
として、あたかも女子工員たちが、奴隷のような悲惨さの不当な強制労働をさせられて
いたかのような描写がなされていましたが、実際にその現場を視察した米国人の女性ジ
ャーナリストは、客観的真実として、女工たちの日常をしっかりととらえているわけで
す。

「あゝ野麦峠」は、これが出た頃に本で読んで、そのあまりに可哀想な女性工員たちの
姿に涙して、母に「昔は酷かったんだね」と話した記憶があります。

当時、評判な本でしたので、私が読んだのは、親が買って来て読み終わったものを回し
てもらいました。そのとき母が言った言葉を今も覚えています。

「もしね、従業員を
 この本にあるような使い方をしたら、
 社員はみんな辞めてしまうわ。
 日本の会社には、
 男も女も社員に奴隷なんていないよ。
 ひとりひとりの社員が
 立派な社会人として
 毎日を送ることができるようにしていくことが
 会社の努めなのだから」

私がまだ小学校にあがる前、実家の裏手には、親戚がやっている染め物工場が
ありました。

そこでは反物を染めるために、女性の工員さんたちがたくさん働いていました。
その頃の私はまだ小学校にあがる前で、ほんの子供でしたので、ちょろちょろと工場に
遊びに行って、女性の工員さんたちがそれを面白がって、仕事中だったのだろうけれど、
ずいぶん可愛がってもらったのを遠い記憶として、うすぼんやりと覚えています。

仕事は冷たい川に腰まで浸かって、長い反物を伸ばして洗ったりするものです。
いま思えば、寒い時期にはきっとつらかったろうと思うのですが、けれど、なにやらみ
んなで歌を唄いながら、実に楽しそうで、子供心にその働いている姿が、とっても好き
でうらやましいものに思えました。
自分も大人になったら、ああいうことしたいな、って本気で思ったものです。

昔の子供は、立派な大人になることが夢でした。
立派な大人になれば、ああやって、みんなと楽しく仕事ができる。
みんなの役に立つことができる。
本気でそう思えるだけの事実が、目の前の工場にあったわけです。


小学校の時に学年で視察に行った、たばこの専売公社の工場なんか、かっこよかったで
すよ。作業員のおばちゃんたちが、流れて来る白いたばこを、右手でぐわっとわしづか
みするのです。そして左手の銀紙の中に、それをポンと入れる。

その一瞬の動作で、20本の紙巻きたばこが、きれいにぴったりそろって銀紙の包みに
はいるのです。子供がそこから一本抜いて、それをちゃんともとに戻そうとしても、
はいらない。職人芸というのか、熟練の技というのか、すごかったです。


そういえば、小学校の近くにあった自転車屋の親父さんも、かっこよかったです。
手の指がグローブみたいに太くて、油で真っ黒に染まっているのです。
その素手で、自転車のタイヤをホイと外して、パンクの修理をしてくれました。

修理したチューブを、車輪に戻して、上からゴムのタイヤをかませるのですが、これま
た素手で、いかにも簡単そうにやってしまう。
子供がいくら道具を使って力を入れてもできないことを、素手でいかにも簡単そうにや
ってしまうのです。すごかったです。


油にまみれ、顔や手を真っ黒にして工場で働く男たち。
染め物工場で、冷たい川に入る女性たち。
みんなが明るく、伸び伸びしていて、楽しげで、笑顔で、そこから出来上がって来るも
のは、子供心にも、素晴らしい魅力的な品ばかりでした。
そりゃあ、子供はあこがれたものです。
それが、日本における普通の職場であり、技術であり、製造の現場でした。


昔の日本では、男女とも、12歳で小学校を卒業したら、そのまま働きに出る子が多かっ
たのですが、それを雇う側は、ただ子供たちを働かせるのではなく、子供たちに教育を与
え、手に職を与え、飯まで食わせてくれていました。
そうした教育費や食費などは、全部、会社負担です。

昔は、こうして同じ社員同士が、そして労使の関係も、まさに家族だったのです。

そう考えれば、若い子たちを雇う以上、その子たちが、どこに出しても恥ずかしくない
ように、きっちりと教育をするのは、むしろ会社としてあたりまえのことと考えられてい
たのです。


昨今では、会社は、ただ仕事をするだけの場になっていますから、社員旅行や、会社の
宴会すら嫌がる社員が増えるのも、当然といえば当然です。

給料にしても決して高くはないけれど、ただ額面だけの問題ではなく、寮費や食費、
教育費などのことを合わせ考えれば、もしかしたらいまどきの上場企業のサラリーマン
りも、昔の女工さんたちの方が、はるかにマシな待遇を得ていたといえるかもしれません。


ちなみにその給料も、戦前戦中までと、昨今では、考え方がずいぶんと変わってしまいま
した。我が国では、給料というのは、江戸の昔(あるいはそれよりもずっと以前)から、
働いている社員に支払われるものではなくて、その社員の家に支払われるものでした。

昔は給料は現金をそのまま封筒に入れて、給料日に手渡すというカタチだったのですが
(給料が銀行口座への振り込みになるのは、銀行がコンピューターを採用してから後の
ことです)、その給料の入った月給袋は、封を切らずに妻に渡すのが常識でした。


そして働いているお父ちゃんは、その妻から、毎月のお小遣いをもらう。
給料は家に支払われるのですから、それがあたりまえだったのです。

しかし考えてみれば、これは当然のことです。
お父ちゃんが、外で元気に働くことができるのも、親や妻の支えがあってのことだから
です。
朝、家を出る時の朝食も、その洗い物も、背広やワイシャツや下着の洗濯も、家で妻が
やってくれているから、お父ちゃんは、人に会っても恥ずかしくない格好ができている
のだし、帰宅後の晩飯も、風呂も、妻がちゃんと家で家事をこなしてくれているから、
お父ちゃんは、仕事のことだけを考えていることができるわけです。

世の中、ひとりで生きているなんてことはなくて、すべてが万事、いろいろな人に助けら
れて生きているのだし、その大切な家族のために仕事をしているのですから、給料は、
支えてくれている家族に渡すのが、会社としても、夫としても、これは当然のことであっ
たわけです。


こうした日本的経営が壊れたのは、戦後のことです。
なぜ崩れたのか。
これまた簡単なことです。
家族として慈しみ、大切に育てられていた工員(社員)たちの中に、労使の対立などと
いう、いびつな共産主義思想が入り込み、労使にあった紐帯を切り裂いてしまったから
です。

会社にしてみれば、社員を家族と思い、いつくしみ、大切にし、会社も社員もひとつの
大きな運命共同体であり、社員は「おほみたから」であって、陛下と親御さんからの大切
な預かりものだと思えばこそ、会社は社員を大切に扱い、教育や医療も施し、寮費や食費
なども会社負担にしてきたわけです。
それは、経営を考えたら、たいへんな出費です。莫大な経費です。


ところがそうやって労使が一体となって頑張って来たのに、労働者の権利云々と仕事は
放棄する。ストライキは繰り返す。経営者を集団で罵倒する。

会社が与えてくれる教育や衣食住にさえも、感謝するどころか文句をつけて、対立のた
めの道具にしてしまう。そんなことが戦後の高度成長の間、ずっと繰り返されてきました。


対立することにしか目的がないなら、会社も、最早、教育も衣食住も、もはや与える意味
などありません。与えれば、もっとよこせとデモやストライキを起こされるだけのことで
す。

それならば、社員を家族と考えて、教育や医療や寮費や食費の面倒を、会社がみる必要な
どなにもない。その分、給料を上乗せしてあげるから、あとは勝手にして頂戴、としかい
いようも、やりようもなくなったわけです。


普通に考えて、本来なら国自体が貧しかった戦前戦中よりも、日本全体が豊かになった
戦後の方が、もっと職場環境がよくなってしかるべしです。
けれど、我を言って対立をあおって、日本的相互信頼社会をぶち壊したのは、まさに戦後
左翼であったのです。


もちろん、日本自体が外圧に屈したという側面もあります。
談合入札や法的規制による参入障壁によって、企業の利益が常にちゃんと確保できる
体制にあったものが、外圧に屈してそれらを政府がなんと「不法行為」にしてしまった
のです。

規制を緩和して参入障壁を下げ、談合を排除したら、工事は品質競争ではなく、ただの
価格競争になります。当然、工事の質は下がる。結果は安かろう悪かろうです。

人が大勢集まる、県を代表するような大規模観光施設でさえ、なんと防火設備がなかった
!!ありえないことです。



製品が安かろう悪かろうで良ければ、人件費の安い支那産や韓国産の粗悪品が売れます。
そういうものは、すぐに壊れるから、また買わなきゃならない。
モノを大切に使うという日本古来の美風まで壊れてしまっています。

商業もまた然りです。
大規模小売店舗法(旧大店法)が廃止され、全国に郊外型大型店ができた結果、駅前の
古い商店街は、全国津々浦々、みんなシャッター通りとなってしまいました。
こんなことは、すこし考えれば誰にでも簡単に予測できることです。

どの家でも、一ヶ月に支出できる食費や衣料費は、一定の限りがあるのです。
近隣世帯のその総和が、月間の食費市場であり、衣料品市場の規模です。

もともと年間30億円の市場で、駅前の商店街が営業していたものが、近くに年商20億
円の大規模店ができたら、その商店街の売上は30億から、いきなり10億円に下がって
しまいます。
そうなれば、商店街は倒産続出、シャッター通りになるのは、子供でもわかる計算です。

しかも大型店は、仕入れの仕切値が安いから、近隣の工場も儲からない。
大型店が儲けたお金は、その大型店の本社がある他の大都市に納税されてしまうから、
地方の中小都市は、税収が減る。
市の運営がむつかしくなり、慢性的赤字体質におちいる。

戦後の日本は、いったい何をやってきたのだろうかと思います。
しっかりとした教育や給料を与えていた産業を崩壊させ、日本人の教育の機会を学校だ
けにし、その学校教育では、日教組が道徳や歴史を否定する。

結果、日本国内では、大学を出てたあとの就職先が、コンビニのアルバイトで、そのアル
バイト先も、昨今では外国人労働者に取って代わられています。

冒頭のツキさんが勤めた会社のようなものが、ついこの間までの日本では、あたりまえで
した。よりよい未来を築くということは、いたずらに現状や過去を否定することばかりで
はありません。

過去の良いところ、今の良いところを組み合わせて、国家百年、千年の大計を講じて、
千里の道の一歩を踏み出す。

そういう政治の持つ大きな機能こそ、いま日本に求められているのではないかと
思います。

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8割以上の車が止まらない横断歩道 [社会]


なぜ多くのドライバーは、信号機の無い歩行者のいる横断歩道で一時停止しないの
でしょうか。警視庁の広報部はその理由について次のように説明しています。


「一時停止に関する取り締まりの際、違反者が横断歩道で止まらなかった理由(供述)
として『急いでいた』『歩行者に気づかなかった』というものが挙げられていました」

また、JAFが2017年6月におこなったアンケート調査では、

「自車が停止しても対向車が停止せず危ないから(44.9%)」、
「後続車がきておらず、自車が通り過ぎれば歩行者は渡れると思うから(41.1%)」、
「横断歩道に歩行者がいても渡るかどうか判らないから(38.4%)」

--
安全で快適な交通社会を実現するため、引き続き悪質性、危険性、及び迷惑性の高い交通
違反に重点をおいた、交通事故抑止に資する指導、取り締まりを推進いたしますとしてい
る。

横断歩道で8割以上の車が止まらない理由は上記のような具合だが
これが自動運転車ならどうなのかを考えると、いかにドライバーの気持ち、判断が
入っているかが分かる。

----
2019/11/06
なぜ日本人はルールを守れない?
横断歩道で8割以上の車が止まらない理由とは
headlines.yahoo /くるまのニュース

信号機の無い横断歩道で歩行者が居た場合は、渡る人を優先しなければいけません。
これは、道路交通法でも定められているルールですが、依然として多くのドライバーが
守っていないのが現状です。

海外の交通事情では、歩行者の優先が徹底されているといいますが、なぜ日本人は
交通ルールを守れないのでしょうか。


横断歩道のある道路を横断しようとしている歩行者がいるのに、クルマが歩行者の横断
を優先せずに走行することは道路交通法第38条に違反する行為ですが、実際には8割以上
のクルマが一時停止していません。

道路交通法第38条には「横断歩道を横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断
歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない」と
して、「横断歩道における歩行者優先」が定められています。

そんななか、全国でロードサービスなどをおこなうJAFは、2016年から全国の「信号機の
無い横断歩道」における歩行者優先について実態調査を実施しています。


2019年の調査は、8月15日から8月29日にかけての平日、各都道府県2か所ずつ、信号機の
無い横断歩道・全国合計94か所で通過する車両(9730台)を対象にした結果、歩行者が
横断歩道を渡ろうとしている際に一時停止したクルマは、1660台(17.1%)でした。

この数字は、2016年調査の全国平均7.6%、2017年の8.5%、2018年の8.6%と比べてかな
り改善したものの、依然として8割以上のクルマが停止していないことを示しています。

2016年の調査以来、常に高い一時停止率を出してきた長野県においては、今回の調査でも
68.6%と、全国でもっとも法令遵守率が高い結果となりました。


ベスト3は長野県に次いで静岡県(52.8%)、兵庫県(43.2%)です。もっとも低かった
のは三重県の3.4%となり、次いで青森県(4.4%)、京都府(5.0%)でした。

では、なぜ多くのドライバーは、信号機の無い歩行者のいる横断歩道で一時停止しないの
でしょうか。警視庁の広報部はその理由について次のように説明しています。


「一時停止に関する取り締まりの際、違反者が横断歩道で止まらなかった理由(供述)
として『急いでいた』『歩行者に気づかなかった』というものが挙げられていました」

また、JAFが2017年6月におこなったアンケート調査では、

「自車が停止しても対向車が停止せず危ないから(44.9%)」、
「後続車がきておらず、自車が通り過ぎれば歩行者は渡れると思うから(41.1%)」、
「横断歩道に歩行者がいても渡るかどうか判らないから(38.4%)」

といった回答が多かったとしています。

※ ※ ※

信号機が設置されていない横断歩道において、自車の走行車線側だけでなく対向車線側
の歩行者にも注意を払い、歩行者がいる場合にはまず減速(徐行)してその動きを注視
し、一時停止しましょう。


止まらないクルマ、その警視庁の対応策とは

東京都では、2019年にワースト5の5.8%(2018年は2.1%)と良い結果ではなかったこと
を受けて、警視庁は「信号機のない横断歩道における歩行者優先等を徹底するための広報
・啓発活動強化について」を2018年に通達しています。


具体的な活動内容について、警視庁広報部は以下のように説明します。

「通達を受けて警視庁では、『信号機のない横断歩道における歩行者優先等を徹底する
ための広報啓発強化期間』を定め、警察署ごとに管内の状況にあわせた広報啓発活動を
実施しました。

サインカーを使用して歩行車優先のメッセージを映すともに、通行する車両に対して、
歩行者保護のチラシを配布、歩行者に横断歩道を正しく渡るなどの交通ルールを遵守す
るよう呼びかけるチラシを配布しました。

ほかにも、年間を通じて、都内各所で実施している交通安全講習会において、歩行者保
護を呼びかけ、ももいろクローバーZを交通安全広報大使に委嘱し、歩行者保護に焦点を
当てたTOKYOルールの実践を掲げて、広報啓発活動をしております」

また、警視庁では取り締まりを強化しており、前出の警視庁広報部は、「横断歩行者妨
害等違反の取り締まりを強化した結果、取り締まり件数が増加しました。

2019年8月末現在の取り締まり件数は、2018年の取り締まり件数をすでに上まわっていま
す」と話します。


道路交通法38条に違反をした場合には、「横断歩行者等妨害等」とみなされ反則金は普通
車(9000円)、大型車(1万2000円)、二輪車(7000円)、点数は2点です。

※ ※ ※

なお、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、警視庁広報部は次のよう
に話します。

「都心部や湾岸地域の開発にともなう、工事関係車両および、物流車両の通行量のさら
なる増加が予想され、貨物車関与の交通事故の発生が懸念されることから、貨物車の交差
点違反などの取り締まりを強化しております。

安全で快適な交通社会を実現するため、引き続き悪質性、危険性、及び迷惑性の高い交通
違反に重点をおいた、交通事故抑止に資する指導、取り締まりを推進いたします」

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児童婚の風習 インド [社会]

「たった15歳の子どもに、結婚とは何か、夫婦関係とは、家を切り盛りするとは
どういうことかを理解しろといっても無理な話です。

教育も受けず、生まれてくる子どもにも同じ運命が待っています。
そもそもお金だってないし、子どもを産むには若すぎます。

この悪循環を断ち切ることはできるのでしょうか」

--
児童婚は違法であり、数は減ってきているものの、目立たない所では
まだ盛んに行われている。

個人の意思とは関係なしに親同士が話し合って決めている。
世界には宇宙時代と言われながらも、まだインドの例のような
風習が残っている。


----
2019/11/03
違法に結婚させられる少女たち、背景に貧困と教育の欠如
インド【世界の女性を包む闇】
headlines.yahoo/ナショジオ

女性は伴侶を選ぶ権利がある。誰と結婚し、どこに住むかということは、
愛情と個人の意思に基づいて本人が決断する。
そんな考えが愚かな誤りと見なされる地域が、世界にはまだ存在している。


例えば、インドでは、親同士が話し合って子どもの結婚を決めるのが当たり前だ。
しかも地方では、幼い少女を結婚させる「児童婚」の風習がいまだに根強く残っている。

「彼女たちは、自分ほど幸運ではありませんでした」と、ニューデリーを拠点に活動す
る20代の女性写真家サウミャ・カーンデルワル氏は言う。


カーンデルワル氏は、タージ・マハルのあるウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウ
で生まれた。子どもの頃、インドに児童婚の風習があることは知っていたが、実際にそ
れを経験したという人は、周囲にはいなかった。

だが、ラクナウから約200キロ離れたシュラーバスティーでは、8歳の幼い少女たちが、
家族の意思で結婚させられていた。ここはネパールとの国境沿いにある貧しい地区で、
同じ州とはいえラクナウとはまるで世界が違う。

2015年、カーンデルワル氏は幼い花嫁たちの写真を撮るため、ニューデリーとウッタル
・プラデーシュ州を行き来するようになった。「もしシュラーバスティーに生まれてい
たら、私もこの少女たちのひとりになっていたかもしれません」と語る。


女性の4分の1が18歳未満で結婚

法的には、インドで児童婚は認められていない。1929年に、この風習を違法とする法律
が定められ、2006年に更新された。現在、女性は18歳以上、男性は21歳以上でなければ
合法的に結婚できない。

これに違反して、結婚させたり、結婚を許可した親や年上の配偶者は、最高2年の懲役
刑に処せられる。


「こうなるしかなかったのよ」

ここでは、娘は家族のお荷物と考えられている。


「娘が3人ということは、費用も3倍、持参金も3倍ということです」と、カーンデルワル
氏は説明する。

結婚してから新しい夫と暮らすようになるまでの間、娘を学校へ通わせ続ける家族もい
るが、14歳で結婚させられたムスカーンは、父親によってすぐに学校を辞めさせられた。
それ以来、料理や家事を覚えるために家にこもる生活を送っている。


数は減ってきているものの、目立たない所ではまだ盛んに行われているということを
知ってもらいたいと、カーンデルワル氏は語った。

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高齢者、自己負担1割から2割? [社会]


これも現政権との攻防の現れか。
自民党の「人生100年時代」をダシにして、さらに高齢者から吸いとる算段。
高齢者医療、自己負担の1割から2割負担へとの声。

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団塊の世代が75歳になるなど、今後の現役世代の負担がさらに増えるとして
急増する薬剤費の抑制につなげるとしている。

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財務省の緊縮財政を盾に、高齢者を優遇する考えは崩されていく。
高齢者の自己負担引き上げもそれである。しわ寄せはすべて国民にいく。

医療機関を受診するすべての患者から一律100円程度の定額負担。


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2019年10月24日
経団連など 高齢者医療、自己負担の1割から2割負担への引き上げ提言
mainichi

政府が掲げる全世代型社会保障制度改革の具体化に向けた自民党の「人生100年時代戦略
本部」(本部長・岸田文雄政調会長)が24日開かれた。

日本経済団体連合会、経済同友会、日本商工会議所の3団体がそれぞれ、高齢者の自己
負担引き上げなどの社会保障改革案を提言した。


各団体は、75歳以上の後期高齢者医療の自己負担割合を現行の原則1割から2割に引き上
げることや、医療機関を受診するすべての患者から一律100円程度の定額負担を求める
制度の導入を提案。

また、風邪薬や湿布薬など市販品と類似する有効成分の医薬品について、保険適用から
除外するよう求めた。現在は、医療機関で処方されれば年齢に応じて1~3割の自己負担
で済む。


経済3団体は、現役世代が支払う年金や健康保険料を通じて、高齢世代への所得移転が急
激に進むことによる経済成長への影響を懸念。

2022年から団塊の世代が75歳になるなど、今後の現役世代の負担がさらに増える見通し
のため、世代間のバランスの見直しが必要だと主張している。

この日提言した改革案は、高齢者に一定の負担増を求めるとともに、諸外国より多い外
来受診回数や急増する薬剤費の抑制につなげる狙いがある。

これに対し、日本医師会はこれまでの会議で、受診時定額負担や薬の保険適用除外に反
対姿勢を示しており、今後の議論になりそうだ。

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